2024 HOBO'S
ConcertS 50th
2024 HOBO'S CONCERTS
出演者紹介
12月24日(火)
出演者一覧
小室 等
1968年グループ「六文銭」を結成。
1971年第2回世界歌謡祭にて、上條恒彦+六文銭による「出発の歌」でグランプリを獲得。
1975年 泉谷しげる・井上陽水・吉田拓郎とフォーライフレコードを設立。
2005年 永六輔氏より、認定NPO法人 ゆめ風基金呼びかけ人代表を引き継ぐ。
2011年 7月11日、「音楽活動50周年ライブ~復興~」を全労済ホール スペース・ゼロにて行う。
現在は自身のライブ活動を中心に、Lagniappeや六文銭などユニットでの活動の他、イベントプロデュース、テレビドラマ・映画などの音楽制作、ドキュメンタリー作品のナレーション、連載コラムの執筆などその活動は多岐にわたる。
最新CDは、11月27日にキングレコードより7年ぶりのアルバム『lovesong』をリリース。
小室等『lovesong』(KICS-4185)
こむろゆい
現在はウクレレと歌とカホンのユニットゆいきんでのライブ活動の他、
父 小室等とのユニットLagniappe や 六文銭などでの活動も。
1997年、第11回青山演劇ファスティバル・ミュージカル「スパイものがたり」(別役実・作)に楽団として出演。
1999年、NHKみんなのうた で 「ひとつのドア」(作詞曲・歌唱こむろゆい)が放送され、シングルとしてFLMEより発売。
DVD『日本のアウトサイダーアート』などナレーションの活動も。
河野‘菌ちゃん’俊二
1967年大分生まれ。
日本大学商学部(ジャズ研究会所属)在学中よりライブ活動を始める。
大学卒業後も、サラリーマン生活をしながら、音楽活動を続けていたが、
2005年、中川イサトwith武蔵野レビューへの参加を機にプロミュージシャンに転向。
2006年7月10日『あの日の風/中川イサトwith武蔵野レビュー』をリリース。
以後、フォーク、ジャズ、ポップス、歌謡曲、シャンソン、ミュージカル など、
多くのミュージシャン・アーティストのサポートをしながら、全国各地で、
カホンのレッスンやクリニックを行い、後進の指導・育成にも力を注いでいる。
◎おもなサポート;秋本奈緒美、あのねのね、清水国明、小室等、ドリー(キムラ緑子)&タニー(大谷亮介)ほか。
ながいよう
1970年、西岡恭蔵・大塚まさじ等とザ・ディラン結成。
1971年、大塚まさじとザ・ディランⅡ結成。アルバムを5枚リリースして、1974年解散。
1975年、西岡たかし・中川イサト・金森幸介と五つの赤い風船‘75結成。1年限定のユニット。アルバム1枚リリース。
1976年、1928 B.B.結成。
1979年、音楽活動休止。
1997年、音楽活動再開。
2004年より、ライブハウス等でソロ活動開始。ソロCD7枚リリース。現在に至る。
金森 幸介
1951年 大阪此花区に生まれる
高校3年生の時にMBS『ヤンタンオーディション』で合格。同じく合格した高階真とちいさなオルフェとしてデビュー。初舞台は大阪フェスティバルホール。シングル盤二枚を残して惜しまれずに解散。
その後、都会の村人とI.M.O.バンドに加入してそれぞれアルバムを一枚づつ残して解散。
73年に初のソロアルバム『箱舟は去って』、76年にはセカンドアルバム『少年』を海外で録音。
その後90年代に入るまでレコードは作らずライヴ活動(ブロークンウィンドウ⇒ロックンロールジプシー⇒ザ・メロウ)に徹する。
80年代からフリーコンサートを自ら企画して大阪は服部緑地公園野外音楽堂で10回続けた。 2010年に入るともう新曲は作らないと宣言するもあふれ出る才能(本人談)には勝てずスローペースではあるが新曲を発表している。 19年、デビュー50周年を記念して歌詞集 『心のはなし』(森英二郎/画・日下潤一/装丁)を限定500部上梓するも本人の勘違いにより50周年は翌年20年3月1日であることが編集途中で発覚。しかし“もう引き返せない”男、当初(?)の予定通り19年3月からライヴ会場でのみの販売でめでたくSold Out。5,500円/冊と高額にも拘らず計画通りに売り切って経営学部出身を自画自賛。8年も通って、いや授業料を払って卒業してないけどネ。 昨日より明日、常に自己最高得点を目指しているライヴにハズレなし。YouTubeもいいけど生のステージはその何倍も素晴らしい。こんなんでええか?
大塚 まさじ
1950年、大阪府茨木市に生まれる。
69年大阪・難波元町に、喫茶「ディラン」を開店。
ここに西岡恭蔵、中川イサト、友部正人、加川良等多くの若者たちが集い、現在も継続中の大規模な野外コンサート『春一番』が始まる。
71年、永井ようとザ・ディランⅡを結成。「男らしいって解かるかい/プカプカ」でレコードデビュー。74の解散までに5枚のアルバムを残す。
76年『遠い昔ぼくは…』でソロデビュー。以来、毎回趣の異なるアルバムを発表し続けている。
85年、1年で日本を一周する唄の旅、全国ひとり旅ツアーを開始。
俳優として、NHK銀河ドラマ『この指とまれ』、NHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』に出演。
2014年、谷口正晃監督の『父のこころ』で主演。以後何作かの映画作品に参加する。
著書にエッセイ集『月の散歩』『月の道標』『旅のスケッチ』、歌詞集『月のしずく』などがある。
FM COCOLOで大塚まさじの番組「MOONLIGHT MAGIC」を11年より10年間継続する。
24年映画『道行き』(監督・脚本・編集:中尾広道)にも出演、2025年一般公開予定。
長田'TACO'和承
おさだたこかずよし
ラップスチールギター、マンドリン奏者。18歳でプロミュージシャンとして活動を始める。1973年、大塚まさじ、永井洋、西岡恭蔵らの伝説のバンド、オリジナル・ザ・ディランに、1975年レイジ-・ヒップに参加。こうしたバンド活動のほか、いとうたかお、大塚まさじ、加川良、シバ、西岡恭蔵、金森幸介らとともに中川イサトのオムニバス・ライヴ『鼻唄とお月さん』に参加。1989年から大庭珍太、Annsanとのマンドリン・ブラザーズに、1990年からSHATなどではギタープレーヤーとして活動。
またスチールギター、マンドリンの名手として、大塚まさじ、加川良、小坂忠、桑名春子など、多数のグループ、アーティストのライブ・レコーディングに参加し、多くの演奏を残す。 作曲家としても多くのアーティストに楽曲を提供している。 2001年、天空オーケストラに参加。2002年、うんちゃかたこP結成。 大阪・春一番コンサートの常連で現在も多くのミュージシャンと精力的なライブ、レコーディング活動を行っている。
gnkosaiBAND
正体不明を装って、見つからない様に目立ちたい。 知らない間に近寄って、平気な顔して居座ってる。
読み方は自由、表記は gnkosaiBAND。
2013 年結成。横浜、湘南を中心に活動の幅を広げ、
「りんご音楽祭」「祝 春一番」「劇団 維新派 屋台村公演」 「SPRING SCREAM( 台湾 )」「FUJI ROCKFESTIVAL 2018」等、野外イベントにも出演。
これまでに4枚のアルバム、1枚の7inchシングルを自主リリース。
2021 年、P-VINE RECORDS より AL『吸いきれない』が再リリース。
2023年4月リリースした3人編成となって初のアルバム『WhoKilledHuman-南無観世音菩薩-』がSoldOutし、
2024年5月、バンドとして初の12Inchアナログ盤を再リリース。
gnkosai (Poet、Dr)
足立 PANIC 壮一郎(G、cho)
オカザキエミ(Synth bass、Key、cho)
足立 PANIC 壮一郎
Coming Soon...
オカザキエミ
Coming Soon...
12月25日(水)
出演者一覧
タイロン橋本
1971年ニッポン放送主催の「全国フォーク音楽祭」大賞受賞をきっかけにプロの道に入る。慶応大学在学中に細野晴臣の率いる Tin Pan Alleyに参加。その後、芸大大学院在学中の坂本龍一と交流を深め、のちに細野晴臣の誘いによりYMO 1stアルバムで「シムーン」を歌う。(クレジットは橋本俊一)。
77年、日本初のサルサバンド、オルケスタ・デル・ソルに参加、アルバム2枚を残す。83年スティービー・ワンダー作曲の「Stay Gold」(フランシス・F・コッポラ監督の映画アウトサイダーズのテーマソング)を日本リリースし、その際タイロン橋本に改名、オリコン洋楽チャート12位にランクされる。88年、1st オリジナル・ソロアルバム『Moments Of Love』を全米・日本で発売。全米3大ネットワークNBC制作のドキュメンタリー "The Evening" にシルベスター・スタローンとともに出演、全米放送される。ルーファス&チャカ・カーンのベースプレーヤーBobby Watson、ジョージ・クリントン・バンドのClay Lawrey、Bell & James、グラミー賞受賞プロデューサーPeter Bunnetta & Rick Chudicoff、Joe Sample、David T. Walker等を起用し、今までに
8枚のソロ・アルバムをリリース。NAACP(全米黒人地位向上委員会)集会、全米各地の教会、ラングストン・ヒューズ作Black Nativityなどに出演し国内外で活躍中。現在まで600余りのCMの歌唱、作編曲、演奏、プロデュース、ナレーション、出演等に関わり、第41回カンヌ国際広告映画祭にて銅賞受賞。故ジェイムス・ブラウンを起用したUCCコーヒーでは、作編曲、プロデュース、出演交渉までも手がけ、ジョージア州オーガスタにて憧れのJ.B.とレコーディングする。 2018年 EP作品「Mandela」、20年 デジタル配信LP『Return of Samurai Soul』、21年 DVD作品『Live at the Japanese Country House』を発表。23年 University of Perpetual HelpSystem (Philippines)の名誉特任教授に任命される。
ウスダミホ
Skyperfect TV「Eco Music Colors」に(現在、第一興商通信カラオケ”DAM”にて視聴可能)多数の楽曲を提供。全曲オリジナルのアルバム『表象-representation-』をリリース。2021年5月に発売した楽曲「It’s Time To Go -新しい日、新しい月-」(作詞・作曲ウスダミホ)では、”iTunes ニューエイジミュージック部門” にて1位、”Amazon Musicニューエイジミュージック部門”にて2位を獲得。アメリカ・シアトルの Total Experience Gospel Choir(トータルエクスペリエンス・ゴスペル合唱団)の日本公演のマネージメントを行う。また、2006年からR&B, FUNK, Jazz BandであるLakeside Struttin’ Band(レイクサイド・ストラッティン・バンド)にキーボーディストとして参加。活動は多岐に渡り、映像音楽を制作する一方、音楽とアートを融合するコンサート「ウスダミホ ソロ〜Colors〜」を企画し、これまでに5回開催。生け花やダンス、ホーメイなどのアーティストとのコラボレーションを積極的に行っている。音楽工房&寺子屋「ミウミュージック」、大人の部活「ミウミュージック合唱部」を主宰、指導。
豊田 勇造
1949年京都生まれ。兄の影響で小学5年生の頃からギターを手にし、高校2年生で「ヒロシマ」を自作しフォークコンテストに入賞。69年同志社大学に入学後、「ベトナムに平和を!市民連合」などの平和運動に関わる傍ら、本格的に音楽活動を始める。1974年レコードデビュー。 以来、日本各地で演奏するだけでなく、71年復帰前の沖縄を振り出しにアメリカ、メキシコ、インド、パキスタンなどを旅し、さまざまな出会いを重ねるうちに独特の音楽世界を造り上げる。80年にはジャマイカでアルバム『血を越えて愛し合えたら』を日本人で初めて地元ミュージシャンたちと録音。84年来日中のタイのバンド、カラワンと出会い、タイを中心としたアジアも活動の場とする。 ホーボーズコンサートには2回出演した。2022年7月には歌手生活だいたい50周年コンサートを京都・拾得で開催。現在も年間約100回のライブで全国を回る。
カルメン・マキ(BAND)
左から:丹波博幸、カルメン・マキ、清水一登
カルメン・マキ
1969年、発足したばかりのCBSソニーから「時には母のない子のように」で歌手デビュー。その年のNHK紅白歌合戦に出場。
1972年、カルメン・マキ&OZ結成。ビアガーデンやディスコテックの下積み時代を経て75年KITTYレーベルよりファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』リリース。日本のロックアルバムとして初の大ヒット、好セールスとなる。
77年、惜しまれつつOZを解散。以降、ソロとして多くの音源制作やライブ活動を行いロックやフォークに囚われず新機軸を開発すべく、2000年以降は様々なフィールドのミュージシャンとの活動を展開。
2014年、デビュー45周年を記念した3枚組ベスト盤『GOOD TIMES/BAD TIMES〜History of CARMEN MAKI』と、そのライブを映像化した初のDVDをリリース。 18年10月、それまでの過去幾度となく断り続けてきたカルメン・マキ&OZだったが、41年ぶりに奇跡の復活をCLUB CITTA’で果たす。 カルメン・マキは、2019年、音楽人生50周年を迎えた。 「カルメン・マキ50th Anniversary Live ~デラシネって半世紀~」と題したライブシリーズを5回にわたり、それぞれ違ったジャンルのミュージシャンと活動を展開した。 また、初の出版物『Carmen Maki Songbook 50th Anniversary』が出版された。後書きには「カルメン・マキの孤独な旅はまだまだ続く。これからも聞き手を想像もできない空間に運んでくれるだろう」、と。 22年4月には、現在活動を共にするメンバーとともに、5つのユニットによる「カルメン・マキ古希ライブ〜生かしておいてくださってありがとう〜」を行い、現在進行形の幅広い「うた」の世界を披露した。 デビユー54年を迎えた現在も新旧取り混ぜたオリジナルや珠玉のカバー曲、トーキングソングや即興演奏の中での朗読等、様々な試みと精力的な活動を続けている。
清水 一登
作曲/編曲/キーボード/マリンバ/クラリネット...などの色々な楽器も演奏
1984年、チャクラに参加、キリングタイム、仙波清彦のはにわちゃんを経て、89年AREPOS結成、自己のバンド、おuと並行して活動を続ける。
GONTITI、EL-MALO 等のライヴサポート、Asian Fantasy Orchestraや梅津和時、巻上公一らとの活動と共に、CM、映画や舞台音楽など幅広く活動している。
丹波 博幸
1972年、荒井由実のサポートとして東京音楽祭に参加。翌年、青山学院大学のクラスメイトバンド、ブーメランでデビュー。ムッシュかまやつ、矢沢永吉、ジョー山中、中村雅俊、EXILE、ジョニー大倉ほか、数多くのスタジオワーク、ライヴで活動中。また、「うる星やつら」「サイレントメビウス」「新世紀エヴァンゲリオン」「ゲゲゲの鬼太郎」「ドラえもん」をはじめ、多くのアニメやCMの作曲、演奏も手掛けている。
12月26日(木)
出演者一覧
pics by halpoodle
(写真左から 春日‘hachi’博文、上原‘yukari’裕、新井健太、松浦湊、小滝みつる)
ザ・ナスポンズ
しがないSSW松浦湊が野毛のライブバーで弾き語り演奏をしていたときに、「バンドがやりたいので一緒にやれる人を募集します」と呟いたところ、観客として観に来ていたキーボードの小滝みつる(ex.シネマ、yapoosほか)が「はい」と挙手。ほどなくして、小滝とドラム上原ユカリ裕(ex.村八分、シュガー・ベイブ)が松浦のライブに再度訪れ、3人は互いに瓶ビールを打ち鳴らした。そこから「エレキギターとエレキベースを誘おう」という話になり、ギターに春日ハチ博文(ex.カルメン・マキ&OZ、RCサクセション、NOIZ、東京ビピンパ倶楽部)、ベースに新井健太(東京ローカル・ホンク)をスカウト。「やれるならやりたい」「つまんなかったら帰るよ」など言いながらヌルッと集まり、そろってスタジオで音を慣らした結果、5人は互いに瓶ビールを打ち鳴らした。真面目な定期練習を経て、2021年8月に初ステージを踏む。以後は定期的に原宿クロコダイルを拠点としてライブ。
24年、念願の自主盤CD3曲入「ナスの缶詰 ver.1」(サバの味噌煮、あさりでも動いている、アフター・わっしょい)をリリース。 25年2月21日には横浜サムズ・アップにて玉響楽団(うつみようこ、Dr.kyOn、玉城宏志、笠原直樹、小関純匡)とライブ予定のほか、横浜六角橋商店街闇市ステージをはじめとし、初の関西ツアー、新譜リリースを予定している。 全員飲酒が好きなため、練習が終わるたび、何かあるたびに必ず打ち上げており、必要以上に出費がかさむバンドとなるが、「だってそういう集まりだもの」。 夢はフジロックのルーキーアゴーゴーにでること。 1974年、上原‘yukari’裕はココナツ・バンクやシュガー・ベイブで、春日’hachi’博文はカルメン・マキ&OZでホーボーズ・コンサートに出演している。 松浦湊(Vo, AG) 小滝みつる(Key、cho) 上原‘yukari’裕(Dr、Cho) 新井健太(B、cho) 春日‘hachi’博文(G、cho)
いとうたかお
《かぞえることのできないものが、おれたちのなかにも、あるね・・・》
1951年 浜松市生まれ。名古屋市在住。
1972年 ベルウッドレコードからシングル『あしたはきっと』でデビュー。
1974年 1st.アルバム『いとうたかお』(ベルウッドレコード)をリリース。
1976年 2nd.アルバム『BOOKING OFFICE』(日本フォノグラム)をリリース。
1982年 3rd.アルバム『slow and through』(Monkeyレーベル・自主)をリリース。
1999年 4th.アルバム『Around the Silence』(ミディレコード)をリリース。
2000年 5th.アルバム『小さな唄に手を引かれ』(ミディレコード)をリリース。
2005年 6th.2枚組ライブ・アルバム(with 松永孝義)『Folk of Ages』(ミディレコード)をリリース。
2007年 エッセイ集『小さな唄に手を引かれ』(ビレッジ・プレス社刊)
2008年 絵本「原っぱの中の原っぱ」(文:いとうたかお/絵:本間希代子/ビレッジプレス社刊)
2012年 映画『MY HOUSE』(堤幸彦・監督作品)に、主人公のホームレス・鈴本さん役で出演。
2018年 7th.アルバム『そうかい』(Otaske Records・自主)をリリース。
村松 邦男
しがないSSW松浦湊が野毛のライブバーで弾き語り演奏をしていたときに、「バンドがやりたいので一緒にやれる人を募集します」と呟いたところ、観客として観に来ていたキーボードの小滝みつる(ex.シネマ、yapoosほか)が「はい」と挙手。ほどなくして、小滝とドラム上原ユカリ裕(ex.村八分、シュガー・ベイブ)が松浦のライブに再度訪れ、3人は互いに瓶ビールを打ち鳴らした。そこから「エレキギターとエレキベースを誘おう」という話になり、ギターに春日ハチ博文(ex.カルメン・マキ&OZ、RCサクセション、NOIZ、東京ビピンパ倶楽部)、ベースに新井健太(東京ローカル・ホンク)をスカウト。「やれるならやりたい」「つまんなかったら帰るよ」など言いながらヌルッと集まり、そろってスタジオで音を慣らした結果、5人は互いに瓶ビールを打ち鳴らした。真面目な定期練習を経て、2021年8月に初ステージを踏む。以後は定期的に原宿クロコダイルを拠点としてライブ。
また、EPO や山本達彦のバッキングを担当。シャネルズ(ラッツ&スター)、 スクーターズ、ザ・キング・トーンズ、吉川晃司、早見優、山下久美子、テレ サ・テン等多くのアーティストに楽曲の提供およびプロデュースを担当。映像 作品への音楽としてはアニメ映画「名探偵ホームズ」、 CM「フジカラー写ル ンです」「不二家ミルキー」「日清焼そば U.F.O.」「ジョージア 明日がある さ」などがある。 2000 年代後半以降はスタジオワークだけではなく、子供ばんど、バービーボ ーイズなどの初代ベーシスト、安部王子と共にバンド「R・O・M・A」を結 成。以後、多くのバンドのサポート、ゲストとしてライブ活動に勤しむ。本業 の傍ら、音楽家を目指す若者のためのプロジェクト「ネットスプラウト」に関 わる。デモテープに対するコメントや、自身の若き日のバンドの物語「あるバ ンドの物語」を執筆。現在も多岐にわたり活動中。 2024年ソロアルバム全17枚がCDにてリイシューされた。 74 年のホーボーズ・コンサートにはシュガー・ベイブとして出演している。
センチメンタル・シティ・ロマンス
1973年に名古屋で結成され、解散せず活動を続ける日本最古のロックバンド。
75年にCBSソニーから細野晴臣チーフオーディエンスのもとでデビューし、高い演奏力とコーラスで数々のコンテストを制覇。バンドロゴ入り赤バスでの全国ツアーは今や伝説となっている。
2013年には愛知森林公園で40周年記念フリーライブを開催し、その様子は堤幸彦監督によってDVD化された。
14年には初のUSAツアーを成功させ、実力を世界に示す。18年の45周年記念ツアーも大成功を収めた。
23年、ユニバーサルミュージックから2枚組ベスト
『50th Anniversary The Very Best of SENTIMENTAL CITY ROMANCE』がリリースされ、50周年記念コンサートを豊中市と名古屋で開催。
同年10月5日には渋谷クアトロでツアーファイナルを迎え、記念すべき節目となった。
細井 豊(Vo、Key)
野口 明彦(Vo、Dr)
種田 博之(Vo、G)
細井 豊(Vo、Key)
結成当時からのSentimental City Romanceメンバー。個人的にも現在まで、映画音楽なども含む様々な作曲、加藤登紀子、竹内まりや、EPO、伊勢正三、太田裕美、大野真澄、鈴木康博をはじめ、様々なアーティストのステージやレコーディングでのサポートなど、多彩な活動を精力的に行っている。
野口 明彦(Vo、Dr)
1972年 山下達郎、大貫妙子等とシュガー・ベイブ結成。'75年にシュガー・ベイブを脱退後、センチメンタル・シティ・ロマンスへ移籍。加藤登紀子、柳ジョージ、浜田省吾、竹内まりや、EPO、来生たかお、幸島美登里らのアルバム、ライブに参加。
種田 博之(Vo、G)
1970年、高知県出身。5歳でエレクトーン、12歳でギターを弾き始める。高校卒業後、バークリー音楽大学日本セミナーに参加。武蔵野音楽学院プロ養成科卒業。'93年、プロとして活動を始める。2014年にセンチメンタル・シティ・ロマンスに参加。現在もジャンルにとらわれず、様々なアーティストのレコーディング、サポートを務める。
柳沢二三男(Vo、G)
函館市出身。 18歳で上京後、数多くのアーティストのツアーやレコーディングで活躍中。 2016年よりソロ活動を始め、23年アルバム『namara』発売。これまで培ってきた彩り豊かな音楽世界を惜しみなく解き放ち「みんな笑顔に」と想いをこめて日本全国でライブを続けている。ギターとイカと、ブルースとビールをこよなく愛するギタリスト。歌手。
湯川トーベン(Vo、B)
1953年、東京都出身。73年、神無月でデビュー。75年〜ハート・オブ・サタデイナイト、80年〜子供ばんど、83年〜アルファベッツ、86年〜村田和人バンド、89年〜遠藤賢司バンド、90年〜フォークロックス(中野督夫・湯川トーベン・永井ルイ・向山テツ・本多正典)、99年〜とくべん(中野督夫・湯川トーベン)、2003年〜トリプル・ダイアモンド
(高橋マコト・嶋田吉隆・湯川トーベン)、11年〜天月(田中裕千・向山テツ・湯川トーベン)と多くのバンド、ユニットを結成・参加。その他、五島良子、りりィ、江口洋介、斉藤和義、Cocco、スパイラルライフ、スクーデリア・エレクト口、黒沢健一、斉藤哲夫等のライヴ・サポート。 吉田拓郎、浜田省吾、玉置浩二等のレコーディング。 現在はソ口、セッション等で全国各地を寅さん演奏旅行中。 99年ソロアルバム『ハナ』、2003年『うた』、05年『そら』、13年『おはよう今日一日 君は何しているの』『勝手にベスト』、18年『2/21/2007 LIVE』 をリリースしている。19年「アリくんの唄」を発表。
12月27日(金)
出演者一覧
中川 五郎
60年代半ば、高校生の時アメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始める。その後音楽に関する文章や小説の翻訳なども手がける。現在も新しい歌を作り、日本各地でライブを行なっている。新刊は『ぼくが歌う場所』(平凡社)
シバ
1967年、漫画家「永島慎二」に師事『柔道一直線』『フーテン』等の作品を手伝う。
70年、高田渡との出会いで、第2回中津川フォークジャンボリーに同行、出演。
翌年高田渡等と武蔵野タンポポ団を結成、好評を得る。
72年にソロデビュー、アルバム『青い空の日』をURCよりリリース。
その後アルバム発表のかたわら、漫画、絵画作品制作。
近年は音楽活動とともに、陶器制作にも力を入れ、グループ展、作陶展等で作品発表。
そんな中2018年、帯状疱疹を発症。
その後三叉神経痛が回復せずやむなく陶芸を中断。
現在、絵画制作に重点をおき、日々制作に励む。
佐藤GWAN博
俳優・佐藤博、放送作家・雁田昇でもあった脱力系シンガーソングライター。福島県福島市生まれ。福島高校卒。
1965年、俳優座付属俳優養成所第15期生となる。
68年、養成所卒業と同時に「劇団自由劇場」創立に参加。
70年、黒テントの公演で高田渡を知り、自分も歌を作り始める。
71年からフリー。役者をしたり(「バンパイヤ」など)、放送台本を書いたり(NHK「おーい!はに丸」TBS「ラジオ図書館」など)、ライブハウスで歌ったり(主に吉祥寺)。 72年、音楽集団jamを結成、アルバム『jam』を出す。(メンバーは中川五郎、鈴木茂、吉田日出子、大津彰、串田怜)
73年、NHKテレビ「ぼくがぼくであること」「6年2組の春は」の音楽担当。 76年、1stアルバム『青空』(キングベルウッドレコード) 2001年、2ndアルバム『星空』(シールズレコード) 09年、3rdアルバム『おやすみお月さん』(シールズレコード)/『ソロライブat WoodstockCafe』(WOODSTOCK RECORDS) 22年、『月の歌』(Funyalala label)
林亭
高校の同級生だった佐久間順平と大江田信によって1969年に結成。当初のグループ名は、ユマニテだった。現代詞をアメリカン・フォークのメロディで歌うという高田渡に学んだ手法によるオリジナルのほか、書きためた作品を収録した自主制作 LP盤「夜だから」を1973年に発表。これが故高田渡の目に留まり、導かれるままに音楽仲間に加わった。ホーボーズ・コンサート、春一番、吉祥寺「ぐゎらん堂」水曜コンサートの出演、高田渡のバック演奏などのほか、各地のライヴ・ハウス・ツアーを行う。1976年、大学卒業と共に解散。佐久間はソロ活動、ラジオ番組の音楽制作のほか、高田渡、さとう宗幸、小室等らとレコーディングやステージを共にし、2001年からは南こうせつの全国ツアーに参加。大江田はレコード会社勤務、輸入中古レコード店経営、音楽原稿執筆などと、共に音楽と関わりながら生きて来た。2006年に再結成ライヴを開催。2009年には、36年ぶりのアルバム「風は歌う」を発表。その後も毎年暮れに定例ライブ開催するほか、マイペースの活動を続けている。
(写真左:大江田信、右:佐久間順平)
12月28日(土)
出演者一覧
かしわ哲
1950年6月9日(ロックの日)東京生まれ。
かしわ哲withサルサガムテープリーダー。
5代目歌のお兄さん。
紆余曲折の70年代を経て歌のお兄さんに。
『おかあさんといっしょ』では「すずめがサンバ」「きみのなまえ」「ブー!スカ・パーティー!」など多数のヒット曲を放つ。
同番組卒業後、たったひとりで福祉入所施設に乗り込み、サルサガムテープを始動。忌野清志郎・ミッキー吉野・仲井戸CHABO麗市らの声援を受け、元ザ・ブルーハーツDr.梶原徹也らと共に 30年間バンドを牽引。
2011年、ロックンロールを仕事にする福祉通所事業所を厚木市に開設。 勝ち負けも、うまい下手も、年齢も障害も、国籍性別も、なーーんも関係なくて、みんな、「幸せになるために生まれてきたんたぜ!」と、毎日、気のいい仲間たちとロックしている。 またファンタジー作家として『アイシテル物語』シリーズや『茅ヶ崎のてっちゃん』、ノンフィクション『あったかさん』等々がある。
かしわ哲&サルサガムテープSP.
かしわ哲(Vo、G)
梶原徹也(Cr)
酒井まゆみ(Sax、Cho)
泉良太(G)
諏訪一宏(B)
サルサガムテープSP
Coming Soon...
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BUZZ NEXT
2023年に春にBUZZの東郷和が自田恵止とのユニット BUZZ NEXTを結成。同年9月15日に初のホールコンサートを I’M A SHOW(有楽町)にて開催。
東郷 昌和
1952年生まれ。荒井由実、高橋幸広、小原礼、鈴木度、林立大。高中止義らと交流を持ちスタジオプレーヤーとしてCMソングを歌うようになる。その後、72年11月『ケンとメリー・愛と風のように』でBUZZとしてデビュー、全国コンサート活動、アルバム制作を開始。その後、他のアーティストのレコーディングのコーラス参加、音楽案外に席巻。またヴォーカルプロデューサーとしてBoAほかを指導。その後、BUZZの活動を再開するも、解散。
ソロライブ活動を始め、2013年に初のソロアルバム『a Wonderful life』をリリース。
現在、ライブ活動を続ける中、松任谷正除が校長を務める、マイカミュージックラボラトリーで後進の指導にあたり、多くの実績を残している。
BUZZ NEXT
2023年に春にBUZZの東郷和が自田恵止とのユニット BUZZ NEXTを結成。同年9月15日に初のホールコンサートを I’M A SHOW(有楽町)にて開催。
白田 忠止
1956年生まれ。80年に(株)+学屋入社し、輸入盤の管理課などを経て、ヤングジャパン大阪(現アップフロント)からのスカウトにより契約、(株)十学屋を退社。81年にPIE(パイ)のメンバーとしてデビュー。バンド名をC-POINT(シーポイント)と改め、加山雄三主演のドラマ「せーの!」の主題歌「少年の夢」をリリース。83年佐野元春プロデュースのシングル「We Can Love」などをリリース。84年にリリースされた小林麻美 with C-POINTとしてシングル「雨音はショパンの調べ」はTBS「ザ・ベストテン」で1位に輝き、大ヒットとなる。85年バンド解散後から現在に至るまで多くのアーティストのレコーディングやライブのバックコーラスとして参加するほか、楽曲提供も行い、精力的に音楽活動を続けている。
With
平野 融
Coming Soon...
アーリー タイムス ストリングス バンド
今井忍、竹田裕美子、松田ari幸一、村上律、渡辺勝の5人からなるアーリー タイムス ストリングス バンドは「メンバー全員が歌う」バンドとして1972年、吉祥寺にあった渡辺勝宅(通称・お化け屋敷)で産声を上げた。翌年、シングル「鐘のなる丘待ちぼうけ / 僕の家」(CBSソニー)を発表。何度かの小休止を繰り返しながらアルバム『vol.1』(1979 / CD1998)、『ブレイクタイム』『ウェルカム・トゥ・ザ・アーリーズ・ハウス』(2001)『LIVE AT KOBE 1973』を残す。2022年、メンバー不動のままバンド結成50周年を迎え、その記念作品とし『どんぐりころころ』を発表。東京・名古屋・大阪を頻繁にツアーするようになる。しかしバンド結成の提案者・渡辺勝が24年6月30日に死去。享年73歳。アーリー タイムス ストリングス バンドは残されたメンバー4人で活動を再開する。
1974年のHOBO’S CONCERTSには、渡辺勝、竹田裕美子、今井忍がきりぎりすとして出演している。きんちゃん、まさる名義での出演もあり。
写真左から:松田ari幸一、村上律、竹田裕美子、今井忍
12月29日(日)
出演者一覧
森野川バンド
佐野史郎(Vo、G)
湯川トーベン(B)
森信行(Dr)
写真左から:湯川トーベン(B)、佐野史郎(Vo、G)、森信行(Dr)
佐野 史郎
1955年3月4日生まれ、島根県松江市出身
1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」の創設メンバーとして参加。
80 年、唐十郎の「状況劇場」入団、84年まで在籍。
86年に林海象監督『夢みるように眠りたい』にて映画初出演 (主演)。 92年、TBS金曜ドラマ 『ずっとあなたが好きだっ た』の桂田冬彦 (冬彦さん) を演じ、 社会現象となる。
俳優業の他、音楽、写真での活動も続けており、ライフワークとして「小泉八雲・朗読のしらべ」をギタリストの山本恭司と共に2007年より継続中。また自身のバンドとしてタイムスリップ『たんすのなかにおくすり3つ + 〜the best of TIME SLIP〜』 Sanch『short movies』、佐野史郎とライスカレー 『佐野史郎とライスカレー』ゼラチン・シルバー・ミュージック・クラブ・バンド『ニュープリント』 のほか、ソロアルバム『君が好きだよ』、佐野史郎 meets SKYE (鈴木茂, 小原礼, 林立夫) with 松任谷正隆 『禁断の果実』 、佐野史郎 meets SKYE(鈴木茂、小原礼、林立夫、松任谷正隆)『ALBUM』もリリースしている。
湯川トーベン(Vo、B)
1953年、東京都出身。73年、神無月でデビュー。75年〜ハート・オブ・サタデイナイト、80年〜子供ばんど、83年〜アルファベッツ、86年〜村田和人バンド、89年〜遠藤賢司バンド、90年〜フォークロックス(中野督夫・湯川トーベン・永井ルイ・向山テツ・本多正典)、99年〜とくべん(中野督夫・湯川トーベン)、2003年〜トリプル・ダイアモンド(高橋マコト・嶋田吉隆・湯川トーベン)、11年〜天月(田中裕千・向山テツ・湯川トーベン)と多くのバンド、ユニットを結成・参加。その他、五島良子、りりィ、江口洋介、斉藤和義、Cocco、スパイラルライフ、スクーデリア・エレクト口、黒沢健一、斉藤哲夫等のライヴ・サポート。 吉田拓郎、浜田省吾、玉置浩二等のレコーディング。
現在はソ口、セッション等で全国各地を寅さん演奏旅行中。 99年ソロアルバム『ハナ』、2003年『うた』、05年『そら』、13年『おはよう今日一日 君は何しているの』『勝手にベスト』、18年『2/21/2007 LIVE』 をリリースしている。19年「アリくんの唄」を発表。
森 信行
Coming soon
Inoue Ohana Band
2010年、それまで"Kathie & Keni Inoue"名義で活動していた、Kathie Inoue
と、Keni Inoue(久保田麻琴と夕焼け楽団~Sandil & the Sunsetz のメンバー)の二人が中心になり、ハワイや日本のオハナ(仲間、ファミリー)達と結成。ハワイ島ヒロサイドにあるレコーディングスタジオ"SEA WESTRECORDING STUDIOS"で、ハワイや日本のメンバー達と共にアイランドレゲエアルバム"sland Blend"を制作、5月に発表。日本全国やハワイなどでライブを行い好評を得る。2012年アメリカから来日したAlicia Bay Laurelとのジョイントライブをはじめ、2014年のかまやつひろしとのツアーなど多くのアーティストとのジョイントライブ&ツアー、また海外を含めたフェスティバルへの参加など、その活動は国内外問わず評価され今にいたる。一方、福島への慰問ツアー、熊本震災への救援ライブなども積極的に行なっている。
現在は、アロハなスマイルを愛するハワイアン&アイランドレゲエバンドとして、ハワイで、又北は青森から南は沖縄までの日本全国ツアー"Happy IslandTour"や、各地のオハナ(フラやスラッキーギタリスト)達とのコラボなど、又ハワイのフェス参加ツアーを企画など、そして関東を中心に日本全国で精力的なライブ活動を展開中。
(今回のメンバー)
キャシー井上 (Vo、 Ukulele、Perc)
井上憲一(G、Cho、Vo)
井ノ浦英雄(Dr、Cho)
佐藤克彦(G、Steel G、Cho)
クーボ(B)
SANDII (サンディー)
シンガー/ ウニキ・クム・フラ(正統なフラの継承者)
10代を主にハワイで過ごす。1975年日本での歌手活動を開始、 1976 年に世界歌謡祭で最優秀歌唱賞を受賞、シンガーとしてのキャリアをスタートさせた。1980年には、YMOの細野晴臣プロデュースのアルバムを日英でリリース。 サンディー&ザ・サンセッツとしてヨーロッパやオーストラリアでツアーを敢行。全英のメジャー音楽誌サウンズ、メロディメーカー、NMEら3誌の表紙を飾り高評価を得たほか、シングル「スティッキー・ミュージック」が豪チャート各地で1位になるなど世界に通用する日本のアーティストとして数々の記録を残す。
その後、ソロシンガーとして活動を再開、戦前の歌謡曲からハワイアン、アジアやブラジルの音楽を独自のスタイルで歌いワールドミュージック・ブームの先駆者となる。
1996 年からハワイアン・アルバムの制作を開始。2001 年、サンディーズフラスタジオを設立。2005 年に数々の修行が認められ、フラ・カルチャーを伝導する最高位である「ウニキ・クム・フラ」の称号をハワイの先人達から授かる。ハワイの伝統的なフラをリスペクトし誠実に受け継ぐ一方で、日本のポップスや沖縄の歌まで幅広くフラの振付をし、フジロックフェスティバルを筆頭に数々のフェスに出演するなど、フラ・カルチャーの裾野を広げ日本に定着させたパイオニアである。
12月30日(月)
出演者一覧
朝野由彦バンド
左から
前田直人(Dr)
朝野由彦(Vo、G)
犬塚健二(B)
永田タカシ(G、各種)
朝野 由彦
`74年、加川良500人コンサート全国ツアーに「岩井宏」と同行。
`75年、キングベルウッドレコードからLP「巡礼」を、`76年、シングル「旅の途中」をリリース。`79年まで連続で出演していた大阪天王寺野音「春一番」コンサートの終了を機に
海外を歩く旅に出る。USA、EU、中東を歩き、インドにてヨガ、瞑想のトレーニングで1年間、沈黙の中に座る。
2011年からまた歌い始める。
2018年、CD「星と月のランデブー」、2024年、CD「ピースランド」をリリース。
犬塚健二(B) 名古屋市在住、 ランニングベア 1977年 CARAVAN 1979年 The Party 2003年 春一番コンサート出演 その後、悠々と音遊びしてます
永田タカシ(G、各種) ヤマハPOPCON本選会 第9,10,11,15,21回 第6回世界歌謡祭 出場 クリスタルキング1st. 「Good-bye」作曲 90年〜プロのサポート少々 現在Little Heads(70'sRock)在籍
前田直人(Dr) ‘70中期センチの弟バンド「フライングアゲイン」「The Wight」参加後’78渡米。 ‘80–‘82「センチメンタル シティロマンス」参加その後再び渡米。 ‘08帰国後、名古屋東別院ローズマリーハート(ライブバー)で厨房、音響を担当と同時に音楽活動も再開。「Ryoko&Co.」「Bits of Blue」等をへて現在に至る。
犬塚 健二
Coming Soon...
前田 直人
Coming Soon...
永田 隆志
Coming Soon...
あがた森魚
1948年9月12日 北海道生まれ。
72年デビュー曲「赤色エレジー」で一躍時代の寵児に。時代と共に常にニューウェーヴで尖端的なオリジナル音楽表現を続けている。
代表曲に『うる星やつら』のエンディングテーマにもなった「星空サイクリング」(ヴァージンVS、82年)「春の嵐の夜の手品師」(85年)「いとしの第六惑星」(85年)、タンゴを独自表現した「バンドネオンの豹」(87年)『佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど』(2001年)など。劇場公開作品3本を監督、俳優、執筆でも活躍。
2011年以降「2010年代ロック」をモチーフに10年間連続の意欲的なオリジナルアルバムを毎年リリース。
22年、50周年を迎え、57タイトル、全733曲のサブスクリプション解禁。9月22日に50周年記念音楽會渋谷公会堂を開催、初の伝記本『愛は愛とて何になる』(あがた森魚、今村守之著)を小学館より刊行。23年『遠州灘2023』リリース。24年6月「ラストタルホピクニック」を王子・飛鳥山公園にて開催。
24年10月30日52枚目のオリジナルアルバム『オリオンの森』リリース。
GreenOnions
久保田さちお・貫田弦邑・リッツ・未麗・折井隆彦・木村シンペイ